1979年3月27日、映画『養護学校はあかんねん!』
制作:長征社 監督:市山隆次 協力:全国障害者解放運動連絡会議
完成披露会がお茶の水全電通労働会館大ホール(収容人数:500人)で開かれた。事前にあまり告知していなかったけど、神田地区の出版関係者たちや周辺の大学の学生、障害者を持つ親たちなどでホールは埋め尽くされ、立見の人もいっぱいいた。
司会は矢内健二さん(故人)で、50分の上映のあと、全障連代表幹事の八木下浩一さんが40分程の講演をした。その中で彼は、これから始まるあちこちで起きるであろう普通学校への就学闘争や、養護学校から普通学校への転校闘争などに、我々は全力で闘い、必ずや勝利し養護学校義務化体制に風穴をあけていく。そして将来、普通学校で障害児と健全児がぶつかり合いながら関係を築いて、大人になったら地域社会で堂々と生活をしていく。
24時間介助が必要ならば、それはそれとして、国や自治体が保障すべきだ。それが社会のあるべき姿なんだと言い切った。
その時、会場はドカーンと大喝采、拍手の嵐となった。
最期に登壇した自分は、『どうか、この映画を職場や学園に限らず、自分たちの地域社会の中で
障害者・障害児やその親たちと実行委員会を作って、あちこちで上映会を開いてほしい。
事前に連絡を受ければこの戦いに参加した者たちをメッセンジャーとして派遣します。」と話した。
1979年の2年後が障害者の完全参加と平等を掲げる国連の国際障害者年だった。
この映画製作者は水俣を撮り続けた土本典明(故人)さんの弟子たちだった。
この弟子たちが介助もしながら撮影していたことが忘れられない。
自分が書いてきて公にしてきたものを整理していたらこんなものが出てきた。
これがいま現在幻の映画と言われている『養護学校はあかんねん!』の初上映会だった。