ユージン・スミス(報道写真家)
亡くなって40年です。
僕がユージン・スミスに触れたのはめっちゃ古いけど
1973か4年、新宿にある小田急デパートでやっていた世界報道写真展だと思う。
当時親しくしていたリブ系お姉さまに誘われていった。
そこで初めて彼の撮った水俣の胎児性(患者)の人々の姿を僕が観て触れたのが
始まりだ。
こういう写真を撮り続けている方もいるんだなと思った。
撮る側と撮られる側の関係、基本的な信頼関係がないと取れないからな
第一撮られたくないだろう。僕はそうだ。常に取られるから勝手に。
撮ったものを見せる側とそれを見る側、どうなんだろうね。
彼はずっと向き合ってきたみたいだ。
水俣病の問題で言えばね、1971年くらいから73年にかけて熊本の水俣病の人達が
謝罪と補償を求めて、当時東京駅八重洲口のほうにチッソ本社があって患者を含めて
数百人の人達が押しかけて座り込んでいた。
このことは機会があるごとにTVニュースや新聞などで報道されていた。
また当時有楽町にあった東京都庁舎第一庁舎の前では府中療育センターの移転阻止と
処遇改善を求めていた新田勲さんを始めとする障害者と支援者が多い時は100人ぐらい
で泊まり込みのテントを張って座り込んでいた。
このことは全くと言っていいほど報道されていない。
なんでやねん。
(僕は正直、患者という言葉は使いたくないんだよ)