意地

哲学者の梅原毅さんが亡くなった(享年91歳)

梅原さんは1990年の脳死・臓器移植臨時調査会のメンバーでもあった(脳死臨調)

彼は脳死臨調の中で脳死という新しい人間の死の定義をつくり臓器移植を推進するという流れの中で

大多数の人が賛成しているなか梅原さんともう一人の人がハッキリと脳死について反対をして

臓器移植に対しても反対した。

僕は当時、ラディカルディスアビリティパーソンの一人として仲間と脳死という新しい人間の死の定義づけ、

臓器移植反対という行動を起こしていた。

集会をやっても多い時で100人ぐらいしか集まらない超超少数派の戦いだった。

圧倒的な多くの人達は脳死ということに無関心、自分とは関係ない

臓器移植もいいことでないですか 救われない命も助かるんだから、だからと言って自分が臓器を提供するのかと言ったら

答えなかった。

ちょうどそのころは自民党社会党さきがけによる連立政権だったと思う。

衆議院の厚生労働委員会の委員長が社会党(現社民党)の岩垂(故人)。

彼は労働運動出身で総評の副議長まで上り詰めた サンデカレスト

だから、何回かロビー活動の中でお会いして話をしたがかみ合わずそれにも関わらず

一年間採決を延ばした。僕らは彼の事を通称(馬鹿垂れ)と呼んでいた。

僕らの行動は集会やデモを繰り返し国会前での座り込みなどをしたけれども

もし臓器移植法が出来れば助からない命も助かるという圧倒的な世論の前に封鎖されていった。

TBS系のニュース23テレビ朝日系のニュースステーションで何度か取り上げたが何故反対しているのかという

障害者の生々しい声はインタビュー受けながらも流されることはなかった。

衆参で議決されて世間の風景に何事もなく染まっていった。

僕は今でも自分の健康保険書、障害者手帳の裏には脳死・臓器移植はしないでくださいと書いている。

臓器の提供もしないし、提供も受けない。

これはラディカルディスアビリティパーソンとしての最後の意地だ。

 

 

梅原毅さんを偲んで・・・・

梅原さんは9条を守る会の呼び掛け人でもあった。

地獄で会いましょう。 

 

昨日今日とNHKEテレのハートネットTVを見た。

火曜日の日が旧優生保護法外で行われた子宮摘出手術と断種

水曜日の日が沖縄の精神障碍者に対する自宅監禁

僕は書物など本人からの肉声などで知っているつもりでいたけど

改めて見聞きしたらやっぱりむかつくわ!

憎しみがわいてくる ハッキリ言って医療従事者や家族や血縁を同じ目にあわせたいと思ってしまう。

チェゲバラは憎しみからは何も生まれないと言っているけど憎しみからのパワーファイトはあるぜよ

これは否定できない。

 

喉のハレ、体のだるさなどかぜの症状と闘いながらの文です。

 

今日訪問医療で来てくれた女医さんが結構なマスク美人だった。

その瞬間だけ少し元気になった。