あれから47年

いわゆる、浅間山荘事件 今年で47年

僕はまだ、高等部2年生のころだ。

そのころ、新宿や吉祥寺や神田に左翼系の本屋があって

僕は月に1回はその本やに行って、お金がなかった頃、立ち読みで

半日は過ごせた。それなりの左翼の歴史が現状つかんでいた。

ソ連邦スターリンへの批判から始まったこの国のニューレフト運動は始まりは

1957年頃からだ。スターリンがやった反対派への粛清、知識人への粛清等、労働者階級の独裁と言いながら

党の独裁⇒個人独裁という誤りを批判・否定し乗り越えることを出発点にしていたんだ。

その出発点だったにも関わらず、連合赤軍の人達がスターリンと同じことをしてしまった。

ましてや管理人の女性労働者を盾にしてしまった。

決定的な事実として押さえておかなくてはならない。

そしてこの72年以降も際限なく続いた中核派・革労協VS革マル派の殺し合いは

連合赤軍の犯した過ちをなんら教訓化するものでもなく、やくざの戦争と変わりがない。

本来ならこういった人たちと僕は無縁なはずだったのにも関わらず、解放運動に身を投じてしまうと

周辺に来ちゃうんだよ。

残念ながらその中から人を選びながら付き合いざるえない。

相手の人の思想信条をもって人を切れない。批判はするけれども。

障害者運動をしていると関りは切れない。

なぜならばそれだけで生きていいけなくなってしまうんだよ。

だから、自己の存在を確立した上でないと本当の解放運動は出来ないはずだ。

それにしても池袋で起きた高齢者が引き起こした交通事故。

それによって妻子を失った夫が記者会見で述べていたことをなんら正直に胸が撃たれた人が多いんだろう

リアルに一瞬にして幸せな家庭が壊された、事実はそうなんだろうけれど、その幸せ感とか幸福感とかどっからくるんだろう

決して彼個人を批判することはないけど同じ日に旧優生保護法で避妊手術を強制された障害者へのほんのささやかな救済法が可決された。その被害を受けた障害者は子供を作り、産み育てる普通の幸福権を否定された。現憲法で保障されている幸福追求権を根本から否定された。そのうえに胡坐をかいて一般的な幸福感ていうのがあるんだろ それが当たり前なんだろ。

ここに疑問を持たない限り永久的に障害者の問題は全社会化しない。