ヤギさんのエピソード1

僕は八木下さんのことをいつもヤギさんといっていた。

ヤギさんは僕の事をおいSと呼んでくれていた。

1978年の春のある会議の出来事をちょっともらす。

ヤギさんは僕に対して『ちょっとよく見ておけ』といって首をフリフリしながらツカツカといって

K(古株活動家)のもとに行って『おい、お前らは農民の意思を体現して成田空港の開港を阻止したと息巻いているけど

障害者の意思を体現して養護学校に爆弾が投げられるようなことをやってみろとKの頬っぺたをビシバシとなでた。

あつい人だった。ずっと就学猶予をくらって生きてきたんだから。

その恨みは相当だろう。

だから、健全者に対しては厳しく対応していた。

Kはそれに耐えられると思ったから敢えて往復ビンタ(なでるように)

これもヤギさん直属の親しみの表現だったんどろうな。

 

これからも、たまに思い出して書く