あの府中が

旧府中療育センターが新型コロナ対策の病院になる。これから改築して、医療スタッフをあつめ、病床100床の中等症患者を対象に早ければ10月中にオープンするらしい。
障害者の隔離施設が
新型コロナ感染者の1時的とは言え隔離病院になる。隔離には変わらない。誰も異論を唱えない。府中療育センターでどういうことが起こったか
知らないひとは調べて欲しい。
あれから50年もたつのか。

ボクが光明養護学校の高等部の一、二年生のころだ。。。。

世田谷区の宇奈根という地域に不二愛育園という施設があった。
入所している障害者は重度の重複障害を持つ人ばかりだ。信じられないとは思うが、中には多動のひとを閉じ込める檻などがあった。

1974~5年頃、そこで働く、kさんとsさんを中心にして労働組合が出来た。職員はすべて女性だった。多いときでも7~8人で回していた。
檻などによる衛生への処遇や労働環境改善を求める運動がはじまった。あまり詳しくは書けない。

争議が激しくなって、園当局が廃園を打ち出した。東京都衛生局の管理と力によって園生たちは府中、島田、秋津の施設に強制措置をされた。

1981~2年頃の話だと思う。

ボクはその運動を支援していた。
運動自体はかなり盛り上がった。
3つの施設の強制措置を経てボクは運動から離れた。
ただ、ケジメだけをつけようと思って、当時都庁が有楽町にあったんだが不二愛育園の労組や支援者と抗議行動をやってるなかで、ボクと労組の代表者ふたりでハンガーストライキをやった。

なんのケジメにもならないけど、自分への落とし前としてハンストをやった。
そしてボクは、離脱した。
残ったメンバーはそのあとも活動をした。
東京都労働委員会の審問や
歌手の加藤登紀子よんで支援コンサートをやった。

そして、不二愛育園当局との300万~500万の和解金を勝ち取って、運動は終わった。詳しくは語りたくない。ボクは途中で脱落したので。