敗戦記念日に

沖縄戦が実のところ、9月の初旬まで小規模な戦闘が続いていた。それを担っていたのは下は14歳上は19歳までの沖縄青少年。それも陸軍中野学校が組織した護郷隊。
中野学校ていうのはスパイ養成学校の部隊だ。

破壊工作とか狙撃とか情報活動とかに長けていて
最後の最後になってもひとりになっても戦えという規律規範がすごかったらしい。

有名な例が小野田さんの件。

そういったこともありながらも沖縄では障害者は米くい虫とかごく潰しとかいわれながら生きてきた。
強いですね。

そこら辺は今でも変わってないか。