天井のない監獄から手作りのロケット弾からはなたれる美しき赤い光跡を残して
第二次世界大戦終了後パレスチナの地にユダヤ人国家イスラエルが建国された。パレスチナ人の人達になんの落ち度もなく難民化していった。
ボクはときおりパレスチナ子供キャンペーンと言うところにカンパをする。
ボクにはそれぐらいしかできない。
かつてパレスチナ人との連携を言って3人の日本人の青年がイスラエルのテレアデブ空港で銃撃戦を戦った。
パレスチナの問題に一般的な暴力反対とかの言葉は通用しない。
イスラエルは今回、難民キャンプまで爆撃をかんこうした。無差別に子供を殺した、、、、、おぞましい。
ボクはケーブルテレビでようやくドキュメンタリー映画三島由紀夫vs東大全共闘を観た。
主だった全共闘の活動家は獄に囚われたり
全国指名手配された。
残された人達との討論は三島由紀夫にとって楽しい時間だったのかも知れない。
三島はああ言う風に議論したくてウズウズしていたんだろうな。
三島はもう覚悟をしていたみたいだ。
右翼は覚悟を決めて、左は覚悟を決められないから、その理屈に従えないものは切り捨てる。全共闘運動は本来それを乗り越えようとしてるんだけど、ずっと学生でいられるわけではないから、あの全共闘運動みたいなものがもしもなかったとしたら70年代初めから80年代にかけて続いた障害者運動は輝いたかどうか分からない。全共闘運動のある人たちは三里塚にいき身延山にいき四日市に行き、北海道のアイヌの元にいき、そして障害者に行き、映画さよならCPの上映運動を行ったりした。決して壮大なるゼロではなかった。
障害者の多くはひとりでは生きられない
どうしても健常者の力が必要になる。
それゆえに親や家族に100パーセント支配され命を握られている。
それゆえに親亡き後、施設やグループホームが存在する。
障害者の自立生活者が増えていかないのは圧倒的に多くの健常者の意識が変わらないかぎり変わりようがない。
自滅の刃だよ。
パラリンピックなどに出る障害者を障害者と思ってほしくない。
ただの健常から欠けた人達だ。