MINAMATA

ジョニーデップ主演
アンドルー・レヴィタス監督
映画MINAMATAが全国から全世界で上映されているが映画の中で水銀を長年に渡って水俣の海に垂れ流して汚染させた企業チッソを糾弾しているリーダー役Kさんの役を真田広之が演じている。
水俣の悲劇は早朝漁に出、帰ってきた漁業従事者がチッソに働きに行くという行動にあった。
だからチッソ側は当時のお金で500万〜1000万の札束で黙らしていった。そのお金で家を建て替えるなどして、マスコミ等から、俗にいう水俣御殿と当初言われていた。また一方で1番の被害者は胎児性の水俣病の人たちで水俣市立重度心身障害児(者)施設「明水園」という国とチッソで作ったところに治療とリハビリに明け暮れる施設生活を余儀されていく。その反対運動のリーダー役だったKさんとは三里塚などの集会で人を介してあったことがある。そのKさんが1981〜82年の東京の足立区で戦われていた金井康治くんの養護学校から普通学校の転校運動を進めていたときに足立区役所に勝手に作った鉄パイプと金網とバリケードの内側で防災服姿で立ち並ぶ足立区職員の前でこの機会を使って勉強をしようとする勉強会に行ったことがある。そんな時にKさんはひょっこり来てくれた。
1956年に水俣病が公害による病だと認定された。
だから、胎児性の水俣病の人たちはボクらと同世代と言っていい。
彼は水俣ではここで起こっていることと同じことが起こってもおかしくないのに何故か起こらないとポツリともらした。
人気があるかわからないけどミュージシャンの三上寛の曲で誰を恨めば良いのでしょうかというメッセージを残して帰っていった。

胎児性の水俣病の人たちを間近に見ていて理解しようとしていた医師の原田さんも亡くなったしまった。作家の石牟礼さんたも亡くなった。
(ボクは一般的に使われている患者という言葉は使いません。)