1960年代の半ば頃から小田急線の豪徳寺の近くの自宅近くの剣道場の光明養護学校を卒業した障害者に解放していたひとがいる。
光明養護学校の校医で専門は整形外科、当時から彼はその道では有名だったらしい。
自分も毎年彼に自分の身体をみてもらってた。
Aさんは口当たりの優しいひとで、脳性麻痺の緊張を和らぐ術を心得ているひとだと思った。
その彼が毎年光明養護学校の卒業式に来賓として挨拶する。
72年か73年のあいさつで、脳性麻痺ははっきり言って直せない。現在の医学では直せない。
だからといって、卑下をしないで誇りを持って生きて欲しい。
当時、荒木裁判闘争や府中療育医療センターの問題などで様々な情報が飛び交っている時代に彼はそう言ったあいさつをした。
その彼が最終的には関東労災病院の院長まで勤めるんだけど。Aさんがいわゆる青い芝の名付け親
踏まれても踏まれても立ち上がれという意味をこめて名付けたらしい。
ボクがそのことを知ったのは数年後のことだ。
障害のある子の将来を案じて親が我が子を殺す事件が相次いでいた。
それに対して、神奈川の青い芝の人達が俺たちは殺される存在なのかと声をあげていた。
そのことは映画さよならCPをみれば分かることだ。殺しても執行猶予がつくのだから。
今現在においても年間50人ぐらいのケースが起きている。なにもかわっていない。
立憲民主党の代表選びはホンマつまらんただのイベントだった。
いわゆるジェンダー論にしても、問題の核心は自分の妻や夫との関係のなかから論じられるのが筋だろ。論議は上から目線だった。
自分を問うてない。70年代ラジカルフェミニズム運動からなにも学んでいない。おもしろくない。。。。