今日は最悪の日だった
毎月一回、ペニスに入れているバルーンを交換する日だった。
訪問医は彼は彼なりに頑張ってくれたが
バルーンを入れるときも抜く時も猛烈な痛みが伴う。いつまでこれが続くのか。
訪問医は訪問医で努力はしているのだろうが
金ピカのロレックスをしながら、
なんなんだろうか。
亡くならなくてもよかった命(ホントだよ)続き
68年10.8を理解するために
なんと読売新聞のオーナーのなべつねは
戦後まもなく東大に復学し
共産党細胞のキャップをつとめた
当時、東大には共産党員が500人くらいいたそうで、約2万人いる東大生を動かしている
1948年ころのメイデイ闘争や公務員を中心とする2.1闘争
当時の共産党は信用しないがマッカーサーの介入により負けてしまった。
当時の共産党書記長徳田球一はマッカーサーの介入はありえないと情勢を読めずに敗北しているにもかかわらずその任を解かれなかった。
最終的には中国に亡命した。
それだけ、世界的に共産党が強かった時代だ。
なにを言いたいかというと
日本と言う国を対ソビエト、中国という共産主義勢力に対する防衛戦にしようとしていた。
それだけ共産党勢力を連合国勢力は恐れていたのだろう。
つづく