この国ほど宗教に対して、寛容な国はないのではないか。渋谷ではハロウィンで若者たちが馬鹿騒ぎし、ワールドカップで馬鹿騒ぎ、勝てば騒ぎ、負ければしょぼくれる。そうこうしているうちに、クリスマスで盛り上がり、年末年始になると神社仏閣に詣でて馬鹿騒ぎ。それゆえに北朝鮮がミサイルを飛ばせばJアラートなる空襲警報が鳴り響く。この騒動を利用して来年度の国防予算では国防費が世界で3番目に膨れ上がり、知らず知らずのうちに軍事国家となってしまう。
沖縄では高校卒業後の就職難で自衛隊への入隊が増えている。この国の平和ボケはいつまで続くのだろうか。近い将来インターネットで赤紙がくるかもしれない。どうなっても構わないが僕が死んだ後にしてもらいたい。憲法上では、この国の最高意思決定機関は国会だし、ただその国会では与野党を問わず旧統一教会つまり勝共連合とズブズブになっている。霞が関の官僚たちにも結構食い込んでいるかもしれない。
宗教に寛容なるがゆえに招いた結末が、これだ。
誰も救われない。誰も救わない宗教。
僕は今日、ペニスに入れているバルーンを交換してきて痛くて仕方がない。相変わらず暇だから映画ばかり観ている。この間、つい一週間ほど前に、「水俣曼荼羅」を観た。何人か知っているヒトもいる。水俣病といえば象徴的な坂本しのぶは、いつも怒っているイメージがあると思われがちだが、彼女の素直な恋愛話、失恋話など、十年もの歳月をかけ6時間におよぶこの大作を仕上げた監督の原一男だからこそ引き出せたものが描かれている。
かつて若い頃、僕が観た土本典昭監督の水俣病シリーズも全部観たが、まだ15、6歳の頃の坂本しのぶさんがH医師に「私も将来、恋をして子どもを産めますか?家族を作れますか?」と尋ねると、H医師はその問いに答えることができなかった。
当時は水俣病のヒトも、障害者もそうだが、家族を作るなど考えも及ばない時代だっのかもしれない。