障害を持つことによる、健常者との差や、不利益をなくすための合理的な区別は容認されるべきであると感じる。
グループワークでの意見が自分とは違っていて違った考え方ができたのでグループワークの重要性に改めて気づけれた。
須田さんが障がい者代表ではなくて、違う意見も聞く必要があるという先生の意見が印象に残った。
今日の授業では映像を見て班のみんなで意見交換をしました。みんなの意見が知れてよかったです。
色々な意見を聞くことができて、とても考えさせられる内容だった。
特別支援教育の在り方を考えると、本当に難しい問題なのだと考えさせられた。私たちが今まで生活してきた環境が当たり前だと決めつけるのではなく、様々な視点から考えることを大切にしたい。
自分とは全く異なる意見もあって考えさせられた。
いろんな立場からの意見が聞けて良かった。
お話を聞いて、特別支援教育自体がない方がいいのではないかという考えが自分の中にもできたが、学習面や生活面などいろいろなことを考慮するとたくさん考えなくてはいけないことがあると感じた。
個別に指導することは本当に「できるのかを考えさせられる講義でした
障害者の人と一緒に授業を受けるのは、障害を持っている方々がこれなら自分でも参加できると思えば、一緒に参加したらいいと思った。私は、その人たちの意志を大切にしたい。
特別支援学校が楽しいと感じている人もいると思うのでなしにするのがいいとは言えないが、子供が選択することはできるようにしてもいいのかなと思った。
自分の通っていた小学校(クラス)では障がいを持っている同級生を差別して嫌う風潮があったので、同じ場で教育を受けるならばそのような差別が根付いていない1年生から始めるべきであると思った。
意見交換で、自分とは異なる意見を聞き深く考えることができた。
ディスカッションなどを通して、いろいろな意見、アイデアが聞くことができ、視野が広がった。特別支援の学校に行く子はいじめを受けてきた子とあったが、それをさせないためにも、小学校など年齢の低いころから障害について触れさせるべきであると感じた。
「特別支援学校の必要性」について、「必要である」としか考えたことが無かったが、生徒側からの視点が足りなかったなと今日の講義で感じた。どちらの意思も尊重できるような仕組みになってほしい。
今日の授業で、障害のある子どもとない子どもが一緒に学習したり関わったりする機会を作ることの難しさを感じました。最後の、できる人ができない人に合わせるという考え方について、できる人がもっとできるようになる可能性を奪ってしまうことになりかねないと思ったので、何が全ての子どもにとって良いのかを考えていく必要があると思いました。
人それぞれ特別支援教育の理想の在り方に違いがあるので、みんながどのように考えているのかもっと知りたいなと持った。
今まで自分の意見がまとまっておらず、特別支援学校自体への考えも葛藤していた部分があったが、グループや全体でのみんなの意見を聞いたことで、この考え方は自分だけではないのだと気づけたし、自分の考えも整理することができてよかった
授業の在り方についての話で、通常学級で障害のある子が一緒に授業を受ける受けないという話はどうして出てくるのかということで、それは結局できるできないという考えで授業を行う、学校教育を行っているからなのかなと感じた。
様々な意見があっておもしろかった。自分の小学生時代の障がいをもった友達のことを思い出した。
障害を抱えている人と、いわゆる健常者が同じ空間で学べるというのは実は難易度の高めなことなのだと感じました。一緒に満足できるような環境を作るためには、相手のことを知るための機会が必要で、それが実際にあった学校もあったそうです。自分が教員になって時にはこういう機会を設ける工夫をしたいと思いました。
ある一定の教科だけ特別支援学級で受けるということで、その別の場所で受けている授業で成長したことだったり、生徒一人一人の成長に着目する時間があれば、障がいのあるなしに関係なく良い環境を作ることができるのではないかとグループワークも通じて考えた。
とても難しい問題について議論を交わしている、ということに気がついた。自分一人の力では解決できないが、こうして考え続けることが重要だと感じる。
障がいをもっている子どもはどうしても、できないことに目を向けがちだけど、できないと思っていても挑戦しようという勇気をもってほしいし、周りも応援したり見守ったりして、そういった環境づくりも大切なのだと思った。また、障がいを持っているということだけで特別支援学級に入れるのではなく、給食の時間や体育の時間などできることはクラスの一員となって少しでも普通が急に参加させた方がいいと思った。
自分以外の人にはできなくてもいいよ、私ができることは手伝うと思うのですが、自分ではなにかできないことがあると自分を責めてしまいます。
私の周りでは、とくに支援を受けているような子でなくても教室での勉強についていけずに自己肯定感が下がり辛い思いをしていたし、特別支援学級の教室に通っている子でももっと勉強できるのにさせてもらえなかったりと、障がい者教育=個別教育というのは少し違うのかなと思いました。周りの困っている子に気付けるようにする教育が最も大事なのかなと感じました。
区別すること、区別しないことにも、それぞれメリットやデメリットがあるという話がグループの中で出た。日本は能力主義なので、みんなと一緒に通常学級で学びたいのか、出来なさを目立たせないために特別支援学級に所属するのか、意見が様々あると思うので、本人の意向を確かめて適切な場を用意することが大切になると思う。
特別支援学級の必要性やその存在自体に明確な区別を行っていることに繋がるので、須田さんがおっしゃっていたような特別支援学級・学校はいらないという意見も理解できた。その一方で、仕方ない、必要な区別でもあるのかなと感じた。
出来なくてもよいと認められる社会を作れたらよいと思いました。学校でも勉強がすべてという考え方がいまだにあるため、それだけがすべてではないということが実感出来たら、障がいのある人だけでなくない人の中でも気軽に過ごせるようになる人が増えるのではないかと思いました。
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特別支援教育がどのようなものなのか、そのあり方を考える機会になった。人それぞれできることとできないことがあるため、それをかばい合えるような形が取れると良いと思った。
先生の支援学級がある学校の先生から聞いた話の後に、比べあっちゃう機会が増えるのではないかという生徒の意見が印象に残った。そのような環境にあって、自分の存在をどのように捉えるかは、今の能力主義の考え方の世の中では健常者も障害者も立ち向かわなければならないことなのだなと思った。
自分の意見と班の意見が違ったが、両方大事な意見であったし、重要なことであったので意見をかわせてよかった。
特別支援教育が健常者と障がい者を分けるものなのか、障害のある子どもにとって居心地のよい場所を提供するものなのか、難しいところだと思った。また、通常学級で勉強する際の配慮がその子にとって一番よいものとなるにはどうすればよいか、よく考えたうえで行う必要があると感じた。
前回須田さんのお話を聞いて、今自分が学んでいる特別支援教育とは果たして何なのだろうなど本当に多くのことを考えさせられ、自分では消化しきれていないところがあった。しかし、今回グループで意見を交流することで私と同じような意見を抱いていた子がいることを知れたことが私の中でとても大きかった。
前回の須田さんの「特支はいらない」という言葉がとても印象的で、今回もこの意見を踏まえて考えた。本人の希望する学級が一番良いのではないかと思うようになった。完全に特支と通常学級を分けるのではなく、支えあって交流する機会も大切。そのためには学校の環境を整えることも必要だと思う。
私はそれぞれの能力に応じた教育が受けられるので特別支援教育がある方が良いと考えていた。しかしそうではなく、通常学級で授業を受けたいという思うがあることを前回と今回で学習した。
また、今回の授業内での「できなくてもいいのでは」という意見にハッとさせられた。できなくてはならないという考えが、私たちの根底にあり、特別支援教育というものを勝手に作り上げていたことに気付かされた。
特別支援教育というものの存在を問う機会になった。必要ある区別と必要のない区別を、健常者と障害者両方の視点から考えていく必要があると思った。
本日もありがとうございました。前回の須田さんの話を聞いた後に数人の特別支援教育コースのメンバーと話しあったのですが、終始「特別支援教育って難しいよ」と語り合いました。今日のグループの話し合いでは他コース(国語や理科、体育)の学生の方がいて、他の観点からも議論を深めることができました。また、特別支援教育は、根本にはできるようにするといったことを要求しているのだなと捉え直すことができました。