合掌

3月24日
ボクは早朝、便をしたあと
急にお腹が張ってきて
緊急で訪問医に来てもらい
お腹にエコーを当ててみたら
急性のイレウスと診断
救急車で最寄りのかかりつけの
N病院に運ばれた。
同行した介助者が気の弱いタイプで
ボクの言っていることを
はっきり伝えなければならないのに
救急外来から待合室に移動され
ボクは脳性麻痺特有の付随運動が激しくて
話せる状態ではなかった。
とりあえず、ジアゼパムをうってくれと
大きな声で伝えた。
やっと、
外来の医師に伝わり、処置してもらえた。

まずは3日ほど検査漬け
MRI CT レントゲン
内視鏡で溜まっている液体を出す治療を受けた。

消化器内科の担当医は比較的優しくて
インフォームドコンセントに理解あるひとだったが、その上司の医師は高飛車なひとで偉ぶっていて、CPをバカにしている態度だった。

最悪の場合は手術になりますと言われ
薬物治療でなんとか治療して退院した。

入院中に数少ないこの国のリベラル派の大江健三郎さんが亡くなった。ボクは若い頃に彼の本を何冊か読んでいる。沖縄ノート、広島ノートを読んだ。あとは新しい人よ目覚めよ
名前は忘れてしまったんだけど大江さんと沖縄タイムズの社主の対談集、これは夢中になって読んだ。

退院して、自宅に戻ったら、教授が死んだ。
その後、TBSの報道特集の生前のインタビューや
NHKの生前のインタビューを観た。いまでもたまに聞くのは教授と清志郎のコラボ曲、これは傑作だ。YMOはボクはどうも好きになれなかった。なにかと教授を讃える雰囲気がある
まあそれはそれで結構な事ではある。
彼は結構、ボクの近いところに存在していた。
会えたところで大した話は出来なかっただろうけど、良識のある健常者ということでしょうか。
教授はH大学を拠点としていた当時の新左翼の学生組織に入っていた。そこでどういった活動をしていたかはボクは知らない。
彼の意識の中には叛の意識を持ち続けていた人だったとこの間の報道で改めて知った。
タケシが言っていた戦場のメリークリスマスを作ったひと、出演していたひと、みんな逝ってしまったよと 残ったのはオレだけだと、、、、